貯まるほどに重くなる、その「通帳」の重圧
コツコツと節約し、無駄遣いを削り、ようやく手にしたまとまった資産。
本来なら、残高が増えるたびに足取りは軽くなり、心には余裕が生まれるはず。
しかし、ふと気づくと、数年前の「お金がなかった頃」よりも、今のほうが一円の重みにビクビクしていませんか?
増えたはずの数字が、安心ではなく「失う恐怖」のバロメーターに変わってしまっている。
この、なんとも言えない心のモヤモヤの正体は何なのでしょうか。
「足りない」から「守らなきゃ」へのフェーズ変化
貯金が少ない時期は、ある種、失うものがない強さがあります。
日々の生活を回すことに必死ですが、目標はシンプルに「増やすこと」だけに気が向いていました。
ところが、ある程度の資産ができてくると、私たちの脳内では静かに、しかし決定的な変化が起こります。
視点が「ゼロからプラスを作る」攻めの姿勢から、「今のプラスをどう維持するか」という守りの姿勢にシフトしてしまうのです。
「もっと」が「普通」になる罠
世間一般では、「貯金があることは正義」とされます。
老後のため、万が一のため、備えがあればあるほど人生の難易度は下がると教えられてきたからこそ、私たちは必死に「もっと、もっと」と数字を積み上げます。
しかし、皮肉なことに、数字が増えれば増えるほど、私たちの「普通の感覚」は麻痺していきます。
一度手にした1,000万円が当たり前になると、それが999万円に減ることすら「敗北」や「転落」のように感じられてしまう。
本来は自由を買うための道具だったはずのお金が、いつの間にか自分を監視する厳しいルールに変わってしまうのです。
視点を「額」から「蛇口」へズラしてみる
ここで一度、考え方を逆転させてみましょう。
不安の正体は、貯金の「総額」が減ることなのでしょうか?
実は「貯めることしかできなくなった自分」に怯えているのではないでしょうか。
お金を貯める能力が高まれば高まるほど、私たちは「お金を使う能力」を退化させてしまいます。
使うことは、減ること。
それは今の自分を否定することであり、そう思い込むことで、自分自身を数字の檻に閉じ込めてしまうのです。
「1,000円のコーヒー」が飲めなくなったAさんの話
私の知人に、30代で2,000万円を貯めたAさんがいます。
彼はかつて、コンビニの新作スイーツを食べるのが大好きでした。
しかし、貯金が1,500万円を超えたあたりから、彼は「これを買わなければ、資産形成が0.01%早まる」と計算するようになり、友人に誘われた少し高めのカフェでも、メニューの右側の数字ばかりを見て、一番安いブレンドを注文します。
彼の通帳には十分な数字がありますが、彼の心は、貯金ゼロの学生時代よりもずっと貧しくなっていました。
彼は「お金を持っている自分」ではなく、「お金を減らさない自分」という役割を演じるのに必死だったのです。
数字はあなたを救わない
貯金は確かに、物理的な困難からあなたを守ってくれます。
けれど、心の平穏までも約束してくれるわけではありません。
もし、通帳の数字が増えるのと比例して、ため息の数も増えているのだとしたら。その数字は、あなたの可能性を広げるための「翼」なのか、それとも、どこへも行けなくするための「重り」なのか?
その答えは、次の給料日にあなたが「何に、どうお金を使うか」の中に隠れているのかもしれません。
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