帰省した夜、何気なく親とお金の話になることがある。
新NISAの話題が広がってからは特にそうで「最近は投資してるの?」
そんな会話から始まり、親が持っている投資信託の話になえい、そして通帳を見ると、毎月きちんと分配金が振り込まれている。
今の投資の常識では、長期積立や低コストのインデックスファンドが主流で、毎月分配型は効率が悪いと言われることも多い。
だからつい思う。
「もっと良い商品があるのに」
けれど不思議なことに、その話をすると会話が噛み合わない。
説明はしているはずなのに、なぜか伝わらない。
そのすれ違いは、金融知識の差だけではないのかもしれない。
「増えるお金」と「入ってくるお金」
30代や40代が投資を始めるとき、多くの場合は未来を見ている。
老後資金や子どもの教育費、20年後、30年後に必要になるお金。
だから今は受け取らなくてもいい。
利益は再投資され、資産全体が大きくなればいいし、数字は画面の中にあるだけでも構わない。
むしろ受け取らないほうが効率的だと考える。
一方で、親世代が見ている景色は少し違う。
退職が近い人もいるうえ、すでに年金生活に入っている人もいる。
そうなると、資産が増えること以上に、お金が実際に入ってくることの安心感が大きくなる。
毎月の分配金は、数字ではなく現金として目に見え、通帳に記帳され、生活の中で確認できる。
未来の期待ではなく、今ここにある安心だ。
未来を信じるという前提
最近の投資論は合理的で、世界経済は長期的に成長する。
市場は上下しながらも右肩上がりになるから広く分散して長く持つ。
実際、その考え方には強い説得力があるけれど、そこには一つの前提が含まれている。
未来への信頼
30年後も経済は成長し、市場は機能しおり、企業は利益を生み続けている。
その前提を自然に受け入れているからこそ、長期投資は成立する。
しかし親世代は違う時代を生きてきた。
バブル崩壊、長いデフレ、銀行が破綻するニュース、失われた数十年と呼ばれた期間。
未来を楽観できない経験を何度も見ているからこそ、「30年後にはもっと増えている」という言葉より、「来月も振り込まれる」のほうが信じやすいのかもしれない。
投資商品ではなく、安心を選んでいる
投資の話になると、どうしても商品の優劣を語りたくなる。
信託報酬。利回り。税制。効率。
けれど人は、必ずしも最も合理的な選択だけをしているわけではない。
家を買うときもそう、保険に入るときもそう。
数字だけでは説明できない安心感を選ぶことがある。
毎月分配型を持つ親を見ていると、ときどき思う。
その人が選んでいるのは商品ではなく、安心なのではないかと。
もちろん、その安心が合理的かどうかは別の話だが、ただ本人にとっては確かな意味を持っているわけで、商品説明だけでは考え方は変わらない。
会話が噛み合わないのは、投資の話をしているようで、実は安心の話をしているからなのかもしれない。
世代差というより、人生の現在地
親と子の投資観を見ていると、世代間ギャップという言葉では少し足りない気がしていて、年齢を重ねれば重ねるほど、自分もまた違う景色を見るのかもしれない。
今は資産形成を重視していても、将来は毎月の収入のようにお金が入る仕組みを求めるかもしれない。
投資の正解は一つではない。
人生のどこに立っているかによって、安心の形が変わるわけで、そう考えると、親の選択も少し違って見えてくる。
親の通帳に並ぶ分配金の記録を見ながら「もっと効率の良い方法があるのに」と感じる人は少なくないかもしれないが、その数字の向こうには、その世代が経験してきた時代や不安も重なっている。
投資はお金を増やすための行為であると同時に、不確かな未来とどう付き合うかを決める行為でもある。だから親と子で選ぶ商品が違うのは、知識の差だけではない。
未来に何を期待し、何を信じ、何によって安心したいのか。
その違いが表れているのかもしれない。
そしてその問いは、親だけではなく、いつか自分自身にも向けられることになる。
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